ベルナール・アンクティル
 Bernard ANQUETIL 

 フランス ノルマンディー出身

 1982年フランス大使館にてミッテラン大統領主催 
 昭和天皇を招いての晩餐会シェフを勤める。
農事功労章
 アカデミー・キュリネール・ド・フランス
 シェーヌ・デ・ロテイスール
 コンフレールリ・デュ・サーブル・ドール
 日本アミカル・デ・キュイジニュ・エ・パティシエ
 
ベルナール氏は、1982年フランス大使館でミッテラン大統領と昭和天皇の晩餐会の折、
シェフを務めたその年に、新構想ブラッスリー ”ブラッスリーベルナールをオープン
当時のフランス料理店では、ディナーは1万〜2万円が普通であり敷居の
高いものでしたブラッスリーを訳すと、「小レストラン」ということ、
ブラッスリー形態のお店で、1組5千円でも楽しめるフランス料理を提供し、
当時としては画期的な発想である。
「フォアグラやキャビアを使うものだけがフランス料理ではない 
鶏肉のおいしい料理もある グラスでおいしいワインを提供する 
もっと気軽にフランス料理を楽しんでもらいたい」

そんな気軽なフレンチ、ブラッスリーベルナールは
成功を収め東京港区六本木のブラッスリーベルナールを皮切りに、
84年に神戸店、銀座プランタン店、86年に軽井沢店、飯田橋店、
88年にはパンのお店、ブーランジェリーベルナール神奈川店、
茅ヶ崎店と次々にオープン 新しい発想のお店は繁盛した。

そして類似の後続店も次々にできた。ベルナール氏は、
日本のフランス料理界に新しい風を送り込んだパイオニアなのである

しかし、2002年頃には、一度引退を決意して、持っていたお店を全部手放されました。
それが良かったか良くなかったか、
ベルナール氏よりも9歳先輩で旧友であるアンドレ・パッション氏から
『自分より若いのに引退するのはけしからん!認めない!』
『うちのレストランをやらないか』と言われ、パッション氏の経営する
レストラン ル・プティ・ブドンにてシェフを務め
2009年より、ル・コルドン・ブルー日本校のエグゼクティブ・シェフに着任。
代官山校、神戸校でのシェフ講師陣を統括し、
授業以外にも様々な舞台でフランス料理の
技術継承と普及に務めました。

現在コックコートからスーツに着替えフランス料理芸術のノウハウを生かした
ビジネス展開を図られてるそうです。